勉強して良い大学に行くことの価値は当分無くならない。
今日は朝の11時に目を覚まし、いつも通りのルーティンでtwitterを開くと、我らがキャプテン、ケーゴさんのツイートが目に入った。
「"いい大学を出て大企業に入れば成功"というのはもうオワコン!」
— ケーゴ (@Kgo_Number10) 2018年7月7日
と言っている人達がほとんどみんな、いい大学を出てまずは大企業に入り、そこからベンチャーや外資系に転職したり、はたまた、起業したりしてるのは気のせいだろうか?
「いい大学を出で大企業に入る」
というところまでは同じだ。
まぁそもそも、「いい大学」を出て「大企業」に入らないと、自分の経歴を万人が見れるネット上には公開できないという暗黙の了解もあるが
— ケーゴ (@Kgo_Number10) 2018年7月7日
中卒とか高卒から成り上がって偉大な創業者になった人達はたくさんいるけれど、聞いたこともない大学を卒業した人や聞いたこともない会社に入って、一般ピープルにその名前が届くぐらい成功した人達って思い浮かばない
— ケーゴ (@Kgo_Number10) 2018年7月7日
最近ちょくちょく目にして耳にする、「勉強して良い大学に行き、大企業に入社するという生き方は時代遅れになる」という言葉。
企業に関しては波があるので何とも言えないが、少なくとも良い大学に入ることに対する価値は、早々変わらないんじゃないかと僕は思う。
これからは個人の時代とは言われているけども、個人のブランディングには当然経歴が使われている。
誰も敢えて言わないが、東大京大を始めとした難関有名大学やリクルートやら総合商社やらの一流企業の経歴というのは、本人が思っている以上に何をするにも影響力を持っている。
サラリーマンであっても、高いステージで個人の能力を発揮する為には、まずステージに上がらなければならず、そのためには経歴によるブランディングが必要不可欠だ。
ほとんど趣味でしかないtwitterなんかでも、弱小アカウントが成長する過程では、情報発信系、自己啓発系アカウントなどの場合は特に顕著に、東大卒や京大卒、外資系勤務というのをbioに入れているアカウントはフォロワーの伸びがいい。
これがもし経歴を入れない、中小企業勤務、無名大、Fラン大、高卒だったりしたら、全然伸びなかっただろう。
ちなみにこの傾向は僕が見る限りだと、どんなジャンルのアカウントでも成り立っている。
結局何を言うかより誰が言うかが重要なのだ。
どんなに先進的なことや、凄いキャリア論を語っていたとしても、本人が高卒の中小企業勤務だと説得力が無いと判断され、全然受け入れられない。
逆に、肩書きが凄いと何言ってもあの人が言っているから凄い…となる。
結局、どんな道に進み何をするにしても、立派な肩書きがあるに越したことはないということなのだ。
それによる下駄、影響力はどこに行っても間違いなく有効だし、早々に無くなることはない。
なぜなら有名人を有名たらしめるのは、彼らを支持する大衆の存在があるからだ。
つまり大衆から価値のないものとみなされない限り、難関大や大企業によるブランドがオワコンになることは無い。
そんなわけで、とりあえず勉強して良い大学に行っとけ、という日本の子供達への上流人生を歩むためのソリューションは、まだまだ現役であり続けるだろう。
これからの日本を担う子供達が、インフルエンサーの語る未来の日本論に踊らされるのは、大学に入り無事卒業をしてからで全然良い。