さくらいの落書き

持たざるリーマンによる試行錯誤の記録 Have nots employer's challenging diary

勉強して良い大学に行くことの価値は当分無くならない。

今日は朝の11時に目を覚まし、いつも通りのルーティンでtwitterを開くと、我らがキャプテン、ケーゴさんのツイートが目に入った。



最近ちょくちょく目にして耳にする、「勉強して良い大学に行き、大企業に入社するという生き方は時代遅れになる」という言葉。


企業に関しては波があるので何とも言えないが、少なくとも良い大学に入ることに対する価値は、早々変わらないんじゃないかと僕は思う。


これからは個人の時代とは言われているけども、個人のブランディングには当然経歴が使われている。


誰も敢えて言わないが、東大京大を始めとした難関有名大学やリクルートやら総合商社やらの一流企業の経歴というのは、本人が思っている以上に何をするにも影響力を持っている。


サラリーマンであっても、高いステージで個人の能力を発揮する為には、まずステージに上がらなければならず、そのためには経歴によるブランディングが必要不可欠だ。


ほとんど趣味でしかないtwitterなんかでも、弱小アカウントが成長する過程では、情報発信系、自己啓発系アカウントなどの場合は特に顕著に、東大卒や京大卒、外資系勤務というのをbioに入れているアカウントはフォロワーの伸びがいい。


これがもし経歴を入れない、中小企業勤務、無名大、Fラン大、高卒だったりしたら、全然伸びなかっただろう。


ちなみにこの傾向は僕が見る限りだと、どんなジャンルのアカウントでも成り立っている。


結局何を言うかより誰が言うかが重要なのだ。


どんなに先進的なことや、凄いキャリア論を語っていたとしても、本人が高卒の中小企業勤務だと説得力が無いと判断され、全然受け入れられない。


逆に、肩書きが凄いと何言ってもあの人が言っているから凄い…となる。


結局、どんな道に進み何をするにしても、立派な肩書きがあるに越したことはないということなのだ。


それによる下駄、影響力はどこに行っても間違いなく有効だし、早々に無くなることはない。


なぜなら有名人を有名たらしめるのは、彼らを支持する大衆の存在があるからだ。


つまり大衆から価値のないものとみなされない限り、難関大や大企業によるブランドがオワコンになることは無い。


そんなわけで、とりあえず勉強して良い大学に行っとけ、という日本の子供達への上流人生を歩むためのソリューションは、まだまだ現役であり続けるだろう。


これからの日本を担う子供達が、インフルエンサーの語る未来の日本論に踊らされるのは、大学に入り無事卒業をしてからで全然良い。